年末の臨時郵便列車で支給された・・・人呼んで
東門弁当
郵便車の乗務は長時間にわたる場合が多く、世で言う食事時間帯にさしかかることも多々ありましたが、乗務員は原則として食事をできません。食事などするヒマがないほど作業が忙しいのも理由ですが、可能な限り食事は乗務の前後に済ませることになり、食事時間でないような時間に食事してから出勤する、あるいは空腹で乗務を終えて退庁してから食事することもしばしばで、行先地の乗務員事務室に深夜到着して遅い夕食?を取るなど、この仕事ならではの苦労がありました。会長も空腹をがまんして作業したことが懐かしく思い出されます。
そんな中で、例外的措置として、大阪鉄道郵便局では大阪糸崎間の限られた鉄道便で局が準備した弁当を車内に持ち込み、作業の空き時間にいただいたことがあります。その重厚かつ質素を絵に描いたような、人呼んで「東門弁当」を紹介します。
1 携行列車
昭和50年代の毎年12月に設定された東京門司間下り、上り臨時護送便
荷9041列車 東門下臨時護送 大阪16:54 ⇒ 糸崎23:29
荷9042列車 東門上臨時護送 糸崎0:38 ⇒ 大阪5:17
2 理由
この両列車で往復する行路だったので、糸崎では事務室でまる一日過しました。下りは夕食どきは乗務中であり、上りは夕食どきは仮眠中だったことに配慮して手配されたものと考えています。
3 こんな弁当
人数分をビニール袋で包み便名を書いた紙片が 袋を開けると新聞紙に包んだ弁当が・・・
貼られている。臨時の「臨」の字は鉄郵で多用し
ていた独特の字。「ゴ」は護送便のこと。3は個数。
昭和を象徴する金属製の弁当箱 はっきり記憶している、ある日の献立を再現!
ご飯はお茶碗換算で3杯分。サバの塩焼き、玉子焼、かまぼこ(存在感を示すため2切れ)と、ど真ん中に梅干。完食すれば満腹になりました。ある駅弁評論家の先生によれば、幕の内駅弁に必要な「三種の神器」は焼き魚、玉子焼、かまぼこだそうで、これらがしっかり入っていたのは、さすがです。
この弁当、車内の重労働で疲れている身にはとてもおいしく感じられたものです。いま目を閉じて口に含むと、スユ42という古い郵便車の中で食べたことが思い出され、牽引していたEF58の警笛すら聞こえそうです。(幻聴か・・・)
金属製弁当箱のメリットは、車内で座席下の暖房管付近に置いておくと暖かくなること、乗務のとき必ず携行した水筒入りのお茶を注ぐとお茶漬けにして食べられることが考えられます。しかし、これを再現するため、弁当箱を見つけるのに苦労しました(笑)
みなさんも、ご家庭の弁当箱でいいですから、このようなお弁当を作ってご旅行の列車内に持ち込み、郵便車乗務員が肩を寄せ合って食べていた光景を想像しながら、旅のお食事として味わってみては、いかがでしょうか。