東京・名古屋鉄道郵便局 浜松乗務員事務室跡
2016年5月10日
浜松駅は鉄道郵便線路の中でも国土の根幹とでもいうべき東京門司線(東海道、山陽本線)の重要地点でした。東京鉄道郵便局の乗務区間が東京浜松間で、名古屋鉄道郵便局は浜松大阪間であったため、浜松駅は鉄道便が発着するたびに乗務員の交替と引き継ぎが行われました。また、鉄道便は最晩年の時期で扱い便、護送便を合わせて13往復が浜松を発着し、両局の多くの乗務員が浜松において宿泊、休憩の必要があることから、大規模な乗務員事務室が開設されました。場所は浜松駅から南東方向に徒歩10分ほどの閑静な住宅街にあり、鉄道郵便輸送の末期には亜幹線、地方路線の輸送廃止に伴って、乗務員事務室も次々と閉鎖されていきましたが、当事務室は1986(昭和61)年10月1日に東京門司線が廃止になるまで使用され、文字通り最後の最後まで残った事務室です。
1945(昭和20)年の開設当初は名古屋鉄道郵便局の管理で、いちど増築され、1967年に鉄筋コンクリート3階建てに改築された際に、東京鉄道郵便局との共同使用となりました。路線廃止と共に解体され、名古屋鉄郵OB様の証言を基に探索した結果、跡地は「駅南公園」(砂山広場)となっていましたが、周囲の環境は変わらず、住民や乗務員が利用した商店の方々に聞き取りしたところ、深夜早朝でも多くの乗務員が行き来していた当時を知る方もいます。当時の写真は「名古屋鉄道郵便局史」「DVD鉄道郵便」から転載。現在のものは2009年、2016年に現地調査で撮影しました。
1948(昭和23)年当時 1967(昭和42)年当時(2階建てに増築)
いずれも学校を連想させるスタイル
1967年(昭和42年)鉄筋コンクリートに改築され、廃止までこの建物でした
①南西角交差点から北東に向け撮影 ②北側(裏庭)から ③入口は南東角
2階3階は寝室
1階
談話室にはテレビや運動具 時刻表 食堂献立の黒板
乗務準備作業室
活箱(日付印を入れて携行する箱)保管棚 郵袋標札作成机(無記入標札とゴム印)
【跡地のようす】
現在の駅南公園を上記①と同じ位置から 公園内において南から北に向け撮影 南側入口から北東に向け撮影
南東角交差点から北西に向け撮影 北東角から南西に向け撮影
物置は公園になってから設置した模様
【痕跡を今に残す語り部たち】
公園の一角にある礎石 「郵政省用地」の文字が彫られている! 近所にお住まいの方が保管する住宅地図にはいまだ存在!
目を近づけると・・・