大阪・広島鉄道郵便局糸崎事務室跡

2016年12月28日

山陽本線糸崎駅から西北方向に歩いて10分ほどの場所に、大阪・広島鉄道郵便局糸崎事務室がありました。東海道、山陽本線の線路がつながり、東京門司線が輸送を始めて以来、大阪糸崎間を大阪鉄道郵便局が、糸崎門司間を広島鉄道郵便局が乗務を担当し、糸崎駅で乗務員の交替と引き継ぎが行われたため、両局の乗務員が休憩宿泊する事務室が設置されました。初代事務室は大正9年10月20日開設とされていますが場所や建造物の詳細は不明です。昭和23年8月1日に木造2階建て家屋の借入れが行われたがこれは工事中の仮使用のようで、昭和24年5月15日に二代目となる、木造平屋建ての大規模な事務室が落成しました。そして、昭和44年11月7日に同場所にて建て替えられ、三代目となる鉄筋コンクリート3階建て事務室が落成し、東門線の輸送量増大に伴う鉄道便増加と乗務員増加に対応してきましたが、1986年(昭和61年)9月30日、鉄道郵便最後の日に東京門司線輸送廃止と共に閉鎖されました。最晩年でも11往復の鉄道便があり、滞在する乗務員も多く、昼間は食堂に集まり歓談したりテレビを見たりして過ごしました。庭には「糸崎カントリークラブ」の看板がひっそりと置かれ、ある日会長が放った打球が不覚にも敷地を飛び出し、坂道を転がるボールを追いかけた思い出があります。(もちろん正式のゴルフ場ではありません) 乗務行路によっては滞在時間が長いものもあって、許可を取って尾道や三原の町を散策したり、近くの酒屋(立ち飲み)で広島の地酒やおつまみを味わったりできました。
跡地を訪ねると、土地が払い下げられたらしく、分譲住宅地となっていました。すぐ隣にあったお好み焼き屋は当時のままで、久しぶりにここの広島焼きを味わいました。事務室唯一の名残は、国道から事務室跡地に向かう坂道にありました。並んで立つ中国電力の電柱に「鉄郵支5」と銘板が張られており、当時の公的施設を配電系統の命名に使ったのか、今も「鉄郵」の名を語り継いでいます。

 
    昭和30年
当時の二代目事務室                     昭和52年当時の三代目事務室 廃止まで使用

【跡地の様子】 2009年7月31日訪問                 【痕跡を今に残す語り部】

  
           分譲住宅となった跡地
                                                      跡地前坂道の電柱

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