金沢鉄道郵便局金沢駅郵便室跡

2017年3月10

金沢鉄道郵便局は、駅近在の本局とは別に、金沢駅の乗務、駐在の拠点となる郵便室を設置していました。
金沢鉄郵の歴史は、「金沢鉄道郵便局跡」で記述のとおりですが、本局が駅隣接であった大正14年3月30日にホーム上の福井寄りに平屋建て5坪の郵便室が設置されたのが始まりです。その後の昭和20年7月に本局が空襲対策で取り壊されたため一部の事務をホームの郵便室に移したことから手狭になり昭和22年1月に増築しました。その後、業務量増加のため新築することとなり、昭和28年3月28日に駅の隣接地に木造2階建の二代目郵便室が落成しました。昭和28年から小包分配業務が始まると年末の繁忙期には郵便室で処理できず、昭和34年の年末には市内の民家を借り入れて処理に当たり、翌年の年末には市内に年末臨時小包分配室を開設して繁忙期を乗り切っています。鉄道郵便局が駅外に分室を設けた事例は大阪、名古屋などにもありました。その後まもなく、郵便室が都市計画による駅前拡張工事のため移転を余儀なくされることとなりましたが、北陸本線電化が金沢に及ぶ時期と重なり、東口(兼六園側)に長年にわたり駅のシンボルとなった駅ビルの建設計画が立ち上がり、南側に隣接する鉄筋4階建ての電気センターが建設されることから、同センターを国鉄、郵政の合築とし、1、2階を郵便室とする協議が整い、昭和36年10月5日に三代目郵便室が完成して廃止まで使われました。1階が事務室、小包分配室、自動車発着場、2階が乗務課事務室、寝室となりました。乗務員の出退勤、更衣室、待機、点呼等は本局でなく郵便室2階で行いました。小包分配業務は石川県(92地域)を全国から引受け、普通小包は昭和48年10月まで、速達小包は昭和57年11月まで続けられ、取扱い廃止後はいずれも金沢中央局に移管されました。乗務は大阪青森線の敦賀、直江津間を担当するにあたり、金沢⇒直江津⇒敦賀⇒金沢といった行路、あるいは逆の行路が主体の三角乗務と言われる形態で、それに金沢輪島線の乗務を加えました。長きにわたり、北陸の郵便輸送拠点として役割を担ってきましたが、1984年(昭和59年)2月限りで金輪線が自動車化で廃止となり、1985年(昭和61年)3月の阪青線廃止に伴って金沢鉄道郵便局、郵便室ともども廃止となりました。
廃止後は国鉄の施設として残りましたが、北陸新幹線工事の進捗と共に駅ビルが解体され、郵便室があった元電気センターもそれと前後して解体されました。駅ビル、電気センターが解体された跡地には新幹線高架ホーム、高架下の駅施設が建設され、郵便室があった場所も新幹線駅施設となり、その痕跡は全くなくなりました。検証した結果、新幹線駅舎、ホームの中央部よりもやや大阪寄りにあるカマボコ形屋根の付近が跡地で、郵便トラックが出入りした発着場は、駅前タクシー乗場、喫煙スペースのあたりと推測されます。
そしてさらなる
出来事として、以前から駅構内で営業していた金沢駅内郵便局が2013年1月28日に郵便室跡地である新幹線ホームの真下に移転しました。郵便室1階は郵袋の一時保管や小包分配業務で郵便物があふれていた場所で、現在そこには郵便局だけでなく、おみやげ販売テナントが多く集まり、一見してデパ地下の様相であることから、決して跡地を意識した移転ではなかったかと思われますが、因縁を感じずにいられません。

     
      昭和28
年の二代目郵便室                 昭和36年の三代目郵便室              郵便室跡地は新幹線ホームの一部に            発着口付近の現状
                                                                                                                              (2017年2月19日撮影)

  
 跡地で
営業する金沢駅内郵便局              風景印                                                                     貯金用記念スタンプ
        (2017
年3月10日撮影)

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