通信日付印

通信日付印は、鉄道郵便局と鉄道便(扱い便、護送便)が使用した、円形のスタンプです。形状は、円筒形の棒の先に直径24mmの鉄製の印体が付いたもので、日付は活字をピンセットで毎日取り替えました。主な用途は、郵袋送致証、郵便送達証など、郵袋、郵便物を授受するのに使用する書類、その他関連書類に押印して、鉄道郵便局、乗務員の責任を明確にするものでした。現場では「鉄活(てつかつ)」、あるいは縮めて「活(かつ)」と呼ばれていました。

1 鉄道便日付印

扱い便と護送便の上り、下り、便号数ごとに個々の日付印が存在し、乗務員は活箱と呼ばれるかばんに入れて携帯しました。運行区間欄は、当該鉄道便の運行全区間を標記。日付欄は、当該便が始発駅を発車した日付を標記しました。運行途中に午前0時を過ぎて日付が変わったあとで交替する乗務員が使用する印も始発日の日付で使用しました。上下、便号数欄は、上下一便ずつの便は、「下」又は「上」と標記し、二便以上ある便は「下一」、「下二」…、「上一」、「上二」…と標記します。護送便は護送の文字を追加。乗務員が途中駅で交替する便では、車中で日付印を引き継ぐことなく、乗務員ごとに携行、使用しました。また、上記の京岡下便は乗務員は交替しませんが、京都大阪間は締切扱いとし、乗務は大阪岡山間のため、乗務区間を明記しています。

また、乗務員日付印の大きな役割として、郵便物への消印がありました。扱い便が廃止される1984年までは、切手などに扱い便の日付印で消印された郵便物が少なからずありました。鉄道郵便局がある駅の駅前、駅構内のポストに投函された郵便物を鉄道郵便局駐在員が回収したり、駅前ポストから鉄道便受渡員が回収した場合、それを受渡する鉄道便の乗務員に書類と共に手渡すことで、地元郵便局に引き継ぐよりも早く届けられるメリットもありました。(回収時に簡単な選別をして、受渡便と方向違いの郵便物は駅を受け持つ郵便局に引き継ぎました) 昭和40年代までは、諸外国の郵便車を参考に車体側面に「郵便差入口」が設置され、ホームの乗客が投函すると必然的に車内で消印されましたし、高度経済成長期には、会社で残業して作り上げた郵便物を駅に持ち込み、乗務員に直接渡して配達を少しでも早める鉄郵担当社員(?)が多くいましたし、郵便趣味人も好んで乗務員に押印を求め印影収集に励んでいました。当時は各家庭にも車内消印郵便物は意外に多く届けられ、現在でも愛好家に大切に所蔵され、ネットオークションに出品されているほどです。

2 駐在日付印

鉄道郵便局と分局では、上欄に、鉄道郵便局名、分局名、下欄に鉄道郵便と標記した日付印を、鉄道便、受渡郵便局と授受する書類、関係業務書類に押印しました。鉄道郵便局所在駅のポストから回収した郵便物に消印することはなく、趣味人には入手難でしたが、鉄道郵便局末期の営業施策で、護送便印と駐在印を記念切手台紙に押印して販売しており、鉄道郵便局廃止記念商品に印影が散見されます。

3 全国の通信日付印

inserted by FC2 system