金沢輪島(金輪~きんりん)線

旧国鉄七尾線(後のJR七尾線、和倉温泉和倉間はのと鉄道七尾線に転換、穴水輪島間廃止)における郵便線路。晩年は主にキユニ26形式などが使われ、普通列車(上一号便穴水七尾間のみ急行能登路2号)に連結されていました。金沢鉄道郵便局が乗務を担当し、能登半島における郵便輸送の主軸を担いました。

  
    金輪線周辺線路図
                    時刻表                   キユニ26連結の列車(オユ10車内展示写真)

 

                                             結束表

車両及び乗務員とも運用は、下一号便は輪島折り返しで上一号便、下二号便は輪島折り返しで上二号便となり、10時間ほとの連続乗務でした。(かつては輪島乗務員事務室が民間借り上げで置かれ、休憩、宿泊をしていたが廃止)

下り一号便の321Dは金沢を早朝に発車するため、羽咋までの各駅は停車するものの、郵便の受渡しが行われず、別の自動車便で補完輸送しました。中島局が意外にも扱いをせず、通常郵袋は七尾で引渡し託送便(国鉄バス~エピソードを参照)で、小包郵袋は車内に積んだまま、輪島で降ろさずに上一号便にて能登中島駅まで運び、ようやく引渡ししていたことがわかります。下り一号便は阪青線の主要便(阪青下便、同上二号便)からの結束(積み替え)を受けているので、金沢仕立ての郵便物ともども多く積載していました。列車そのものも、行商の人たち、夜行列車から乗り継いだ人たちが多く乗車し、特にシーズンには輪島朝市、その他能登半島各地への観光に向かう人たちが乗り込みました。荷物車にも朝刊や小荷物が多く積まれ、生活列車、観光列車の役割を果たしていたそうです。

研究する立場からは、上り一号便の金沢で阪青線各方面への結束があるのは当然として、津幡駅は停車するのに局から受渡しが来ず、津幡局宛を車内で締め切って、金沢鉄郵を介して金輪下り二号便に引渡すのも意外です。下り一号便の輪島駅で車両も乗務員もそのまま折り返すのに、中島宛て小包などは上り一号便への結束、引渡しのように書かれているのが興味深いです。

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