東京門司(東門~とうもん)線

旧国鉄東海道本線、山陽本線における郵便線路。鉄道郵便線路の中でも代表格で、本州では東京青森線と共に輸送系統の中心をなし、輸送量、運行本数とも最大の主要幹線でした。

★歴史

明治の鉄道開業時に郵便輸送を開始された区間が時代と共に延長、進展したのが東門線ですが、各地の路線がつながって大幹線になるには年月を要し、1889年(明治22年)に東京(新橋)神戸間が全通し、一方で山陽鉄道という私鉄が神戸馬関(現下関)間を1901年に全通させ、後に国有化されています。長距離列車がこの両線を直通するようになると、東京大阪間、さらには下関への急行列車にも郵便車が連結され、各地の区間列車ともども郵便物の大量、長距離輸送が行われました。九州との連絡は長らく関門連絡船で行われ、1942年(昭和17年)に関門トンネルが開通し、門司駅への列車直通が可能となった時点で東門線になったと推定されます。また、1986年(昭和61年)10月1日の鉄道郵便輸送廃止に至るまで東門線は輸送を遂行しています。

★運行系統

輸送量、運行本数が多く、区間便も多数ありました。明治期に専用郵便車が登場してからは車両の大型化と共に、急行列車、普通列車に連結されるのが主流で、主要駅相互間は東京、名古屋、大阪発着の山陽、九州方面急行列車連結便で輸送を行いました。その一方で、町ごとの郵便局は普通列車の連結便で結んでいました。そうした輸送方式を見直し、客荷分離と速度向上を行ったのが「東門特例輸送」(下記参照)という改革で、荷物専用列車に連結された扱い便、護送便、パレット締切便がおなじみになりました。発着駅も東京は汐留駅、九州は東小倉駅という貨物、荷物ターミナルに変わり、東京発着の電車便は東京駅でも受け渡しが続きました。

★東門特例輸送方式

国鉄による旅客、荷物分離輸送(鉄道郵便の歴史参照)という方針と荷物、郵便輸送方式の転換が必要となり、1972年(昭和47年)3月15日のダイヤ改正から、鉄道郵便輸送史では大きな出来事となる特例輸送が始まりました。東門線と郵便車が直通していた門司鹿児島西回り線(門鹿西線)も同様の方式にしたため「東門、門鹿西特例」とも呼ばれました。

・荷物専用列車

旅客列車に連結する郵便車は、東京駅発着電車と名古屋熊本間急行を除き、すべて郵便車、荷物車のみで組成する荷物専用列車で運行を開始しました。(その後電車便、急行は廃止)

・受渡駅の整理

東京横浜間、京阪神間を除くと、集配郵便局最寄り駅ごとに行われていた受渡を、取扱数量が多い主要駅のみとする。(資料館の線路図参照) これにより、受渡廃止駅(局)、受渡駅(局)相互間を自動車便で補完輸送し、列車運転速度向上、輸送時間短縮を図りました。

・車中扱い業務合理化

列車の速度向上と駅間区分作業時間の減少に伴い、下記の区分業務を廃止したのに伴い、区分、書留、小包担務者を廃止して乗務員数は減少しました。

廃止対象業務~第一種、第二種普通通常郵便物の区分(当該郵便物は「は束」単位の区分、差立に限る)、書留通常郵便物の区分(小郵袋開披を廃止し継送小郵袋単位の扱いに限る)、速達小包郵便物と普通小包郵便物の区分(大郵袋開披を廃止し締切大郵袋単位とする)

また、定形外(大型)通常郵便物、速達小包、普通小包の都道府県ごと(厳密には郵便番号の上2けたごと)の区分と分配局の指定による輸送を推進して、特例方式の輸送で支障が生じないように改革がおこなわれました。

★郵便車使用形式

代表的な全室郵便車の形式が多く活躍しました。特例方式となってからは、それに適合した扱い車も製造されています。特例開始後の形式は

・扱い便 オユ10、オユ11、オユ14、スユ16、クモユ141(東京~名古屋・大阪)、クモユニ74(東京~沼津)など

・護送便 オユ12、スユ13、スユ15など

・パレット締切便 スユ44

★運用状況

特例方式実施後の荷物列車は編成は荷物車が多くを占めながらも、編成中央部に2~3両の郵便車が連結されており、扱い車のクーラー、窓の〒マークがアクセントとなっていました。東門便は最盛期で扱い便5往復、護送便5往復、パレット便3往復を数え、多くの列車で2両、3両連結の重連運用が行われ、扱い便+護送便の重連(あるいはパレット便も加えた三重連)が定番で、郵袋の種別、送り先でどの車両に積むかを決めていました。東京岡山、京都岡山の区間便は四国へ直通し、大阪門司便も深夜の輸送量増加に対応しました。また、東京~沼津、名古屋、大阪の区間で東京駅発着の電車便もあり、特に東京大阪上下便は東京大垣間で通称「大垣夜行」に連結され、グリーン車に安く乗れたり、周遊券や青春18きっぷ愛好者に人気の列車で現在は快速「ムーンライトながら」という季節列車で残っています。(電車便と東京駅分局は1978年廃止) 荷物列車は多くの鉄道ファンに撮影されており、牽引していた機関車が長らくにわたり人気のあるEF58形式であったことで、カメラを向けるファンが多かったものです。また、少数派だったEF61の牽引、瀬野八本松間上り勾配区間のEF59形式による後押し、EF58が廃車されたあと、信越本線から移籍した「山男」EF62形式との交代など、鉄道趣味対象としても多くが語り継がれた荷物列車ですが、郵便車では乗務員が黙々と郵便物を処理し、輸送に奮闘していました。

★担当鉄道郵便局

距離と乗務時間が長く、乗務は複数の鉄道郵便局で分担し、乗務員は途中駅で交代しました。

東京鉄道郵便局 ⇒ 汐留駅(東京駅)~浜松駅間を往復乗務。乗務員名は「東浜(とうはま)乗務員」。
名古屋鉄道郵便局 ⇒ 浜松駅~大阪駅間を乗務。名古屋~浜松~大阪~名古屋の経路、又はその逆。(行路により異なる) 乗務員名は「浜阪(はまはん)乗務員」。
大阪鉄道郵便局 ⇒ 大阪駅~糸崎駅間を往復乗務。乗務員名は「阪糸(はんいと)乗務員」。
広島鉄道郵便局 ⇒ 糸崎駅~東小倉駅間を乗務。広島~糸崎~東小倉~広島の経路、又はその逆。(行路により異なる) 乗務員名は「糸門(いともん)乗務員」。

★補完輸送、代替輸送

この路線は距離が長く、輸送量も多いため、鉄道郵便車だけでは輸送しきれないことから、早くから輸送手段の転換と補完輸送、代替輸送も行われていました。東門線区間の航空便や自動車便が設定された後もなお、郵便車の輸送量は増え続け、双方が補完しながらの輸送が長く続きました。

・航空機への転換

1966年10月1日に東京大阪間で定型通常郵便物の航空機搭載が開始され、当該区間の送達が早くなると共に、東門便への負担が減少しましたが、このことは同区間の鉄道輸送シェアが減少する要因ともなりました。これにより、大阪を境に航空機と鉄道との積み替えも行われ、東京中央局などから航空便で大阪空港に運ばれた航空郵袋が大阪駅で下り便に積み込まれて阪糸乗務員が開披、処理したり、上り便では乗務員が航空郵袋に東京方面宛て郵便物を詰めて東京中央局宛に差し立て、大阪駅で降ろし航空輸送する「航空結束」が始まりました。

・自動車輸送

現代では長距離自動車便と航空便が郵便物の長距離輸送を支えていますが、鉄道輸送当時も自動車便が併用されました。

高速自動車便~東名、名神高速道路の開通を受け、航空機が騒音問題で飛べない深夜帯に、航空輸送対象郵便物を東京大阪間で輸送した東阪自動車便が代表的。その後、東門線沿線に増発され、東門便の輸送を補完しました。

特例受渡廃止局発着便~前記で説明した特例輸送で鉄道の受渡を廃止した各局は自動車便で鉄道受渡局とを輸送しました。鉄道輸送に比べて局の位置によっては鉄道受渡をしていたころよりも輸送に時間がかかる場合もある一方で、駅へ運ぶ時間の制約を受けにくい利点もありました。

鉄道補助便~鉄道線路受渡局相互間で比較的輸送量が多い場合に設定した自動車便で、一例として神戸姫路便を途中明石、加古川立ち寄りで設定して同区間の東門便積載を抑制して鉄道輸送を補助しました。

・貨車、コンテナ締切便

東門線の区間でも貨物列車の設定が多数あったため、有蓋貨車やコンテナを契約して普通小包等を輸送しました。

・水路便

瀬戸内海を航行する船舶で大阪~四国、九州(大分、宮崎)、沖縄相互間の普通小包を輸送して東門便の輸送を抑制しました。

・その他

鉄道郵便局は直接取扱っていませんが、名古屋中央局~大阪中央局間で近鉄荷物列車に通常締切郵袋を託送し、大阪伊勢便、名古屋伊勢便を伊勢中川駅で積み替える形で大阪、奈良、三重、愛知各県相互間の主要局を輸送し、三重県~大阪方面は亀阪便や東門便~名和便の名古屋経由よりも速く送達していました。

【関係資料】

時刻表     下り(東京大阪間) 下り(神戸門司間) 上り(姫路門司間) 上り(東京神戸間) 58.3月改正後

ダイヤグラム  東京門司線(59.2改正後)

結束表      東門下三 東門下二護送  東門下臨時護送 東門上二 東門上四護送 東門上臨時護送  大阪糸崎間

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