金沢鉄道郵便局敦賀分局跡

2017年1月25日

大阪青森線(北陸本線)から敦賀東舞鶴線(小浜線)が分岐する敦賀駅構内にホームと隣接する敦賀分局がありました。

大正6年12月15日、小浜線の一部、敦賀十村間の郵便車(護送便)乗務開始に伴い、金沢鉄道郵便局敦賀駐在所を開設したのが始まりです。その後の小浜延伸と共に扱便となり、高浜、新舞鶴(現東舞鶴)への延伸が大正時代のうちに進み、敦賀東舞鶴線の乗務拠点、敦賀駅受渡し業務を担いました。昭和12年には乗務区域が大阪鉄郵の管轄となったため同局の分局となりますが、昭和23年に金沢鉄郵に再移管しています。当時は木造平屋建てでしたが増築を重ね、昭和30年9月に分局に昇格しました。このとき小浜線ホーム延長工事に支障するため、構内で移転ついでに木造2階建て庁舎を新築しました。昭和41年からは米原方向からの福井県91地域の小包、速達小包の分配業務が始まり、さらに増築して外見は近代的な木造モルタル庁舎となりました。敦賀駅は海側に地平の大きな駅舎があり、各ホームは半高架の一段高い位置にあり、駅に隣接する分局からテルファという昇降機械で郵袋台車を各ホームに運びました。年末に分配する小包が増加すると主婦パートも動員して捌きましたが、手狭な分局からあふれ出し、改札口、旅客通路から丸見えの作業になったそうです。また、2階には乗務員カバン保管室があって、大阪、金沢鉄郵の阪青線乗務員もここにカバンを置き、手ぶらで敦賀事務室に向かうことができました。(但し会長は最若手だったのでお茶用の水筒などを携行) こうして、小ぶりな局舎ながらも福井県嶺南地方の輸送拠点として活躍した分局でしたが、昭和59年2月1日の輸送システム改正に併せて敦鶴線が廃止、自動車便化され、分局も廃止されました。その後の1986年(昭和61年)3月1日に阪青線の輸送が廃止されるまでは、敦賀駅受渡しは逓送員、つまり敦賀局から運んでくるトラック運転手の業務となりました。

2012年に跡地を訪ねると、構内のため接近はできませんでしたが、更地となって業務用駐車場として使われていました。後には工事の手が入り、敦賀駅橋上化に伴って現在は跡地ともども新駅舎が建てられており、北陸新幹線の延伸が待たれます。

 
                                      昭和51年当時の敦賀分局                                                                     駐車場となった跡地 2012年7月25日撮影

inserted by FC2 system