大阪・金沢鉄道郵便局敦賀乗務員事務室跡

2017年1月24日

北陸本線敦賀駅から北東方向に歩いて10分ほどの閑静な住宅地に、大阪・金沢鉄道郵便局敦賀乗務員事務室がありました。

大阪青森線(北陸本線等)の郵便輸送は部分開業の区間が次第につながっていく中で形成され、大阪敦賀間を大阪鉄道郵便局が、敦賀直江津間を金沢鉄道郵便局が乗務を担当し、敦賀駅で乗務員の交替と引き継ぎが行われるようになったため、両局の乗務員が休憩宿泊する事務室が設置されました。まず昭和12年10月8日に大阪鉄郵による初代事務室が民家借上げで開設され、一度焼失と借替えを経て、国有事務室として昭和23年8月1日に木造平屋建ての三代目事務室を新築し、大阪鉄郵所管であったものを金沢所管に移すことで、両鉄郵の共同使用が始まりました。それまで、金沢鉄郵の事務室は別にあり、民家や旅館の借上げを繰り返し、転々と変更を余儀なくされたそうです。その後の昭和26年12月25日に木造2階建ての四代目事務室を新築、そして、昭和43年11月25日に五代目となる鉄筋コンクリート2階建て事務室が落成と、次第に建物を大きくしながら阪青線の輸送量増加、鉄道便増発に対応し、多くの乗務員が滞在して賑わいましたが、昭和57年の減便、昭和59年2月1日の輸送システム改正(扱便廃止)という情勢で乗務員が減少し、広い敷地は閑散となっていきました。そして1986年(昭和61年)3月1日の阪青線輸送廃止と共に閉鎖されました。

時期により増減しながらも5往復ほどの鉄道便があり、大阪鉄郵の乗務行路では仮眠3時間未満のトンボ帰りもあれば、ほぼ一日滞在するものもあり、町中の音楽喫茶で落ち着いたり、鮮魚料理を味わったり、夏は日本海の海水浴など、思い思いの時間を過ごしました

跡地を訪ねると、事務室が解体撤去された土地には日本郵便の社員宿舎2棟が建てられ、大阪方は独身寮、金沢方は家族住宅になっていました。今でも周辺は静かで、当時のまま時が止まったかのようです。

  
                      昭和27年
当時の四代目事務室                                                            昭和52年当時の五代目事務室 廃止まで使用

【跡地の様子】 2012年7月25日訪問

    
    事務
室1棟の敷地に住宅2棟                          大阪方は「郵政敦賀清水寮」                                        金沢方は「敦賀清水町郵政宿舎」

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