鉄道郵便車

鉄道郵便車がどういうものかについて説明するには、動力別、占有面積別、構造別といったいろいろな分け方があります。そうした分け方から様々な車両系列や形式が定められ、製造、改造されてきました。鉄道車両の基礎知識、系列形式記号番号の詳細な解説は省略しますので、鉄道車両関連の書籍、雑誌記事などを参照して下さい。また、鉄道郵便車を特集した書籍、記事も出版されています。(末尾参照) ここでは昭和50年代前半の時代を背景に、鉄道車両関係書籍では記述されない、乗務員が知る郵便車特有の輸送事情も加えます。

1 車両史

「鉄道郵便の歴史」に記述したとおり、明治5年の鉄道開業と同時に郵便物輸送も行われましたが、当初は客車荷物室の借用によるものでした。短距離で輸送量も多くなく行嚢(こうのう=後の郵袋)を単に運ぶだけであれば十分であったのですが、車中継送区分が開始された明治22年以降は全室郵便車が誕生します。当初は二軸の小型車両で設備は小さな区分棚だけであったものが、逓信省所有によるボギー車の登場で大型化、区分作業設備の増加、さらには木造車体から半鋼製車両、全鋼製車両への発展、冷房設備の設置など車内環境改善、護送便専用車とパレット締切便専用車の登場といった発展を遂げました。

   
                     明治5年当初
のY型下等緩急郵便合造車                                                    明治22年製 最初の全室郵便車Z型

    
                              明治38年製 逓信省所有三軸ボギー車両のテユ4型                                                    戦前鋼製車の完成型マユ34

2 分類

(1)動力別

客車、電車、気動車に分類されます。鉄道郵便車は鉄道開業時から廃止まで、機関車に牽引される「客車」が主に使用されました。「郵便車は貨車なのでは?」という質問を受けますが、郵便車と荷物車はいずれも貨車ではなく旅客車両です。なので車両構造や形式区分も客車、電車、気動車の一部として郵便車の記号番号が与えられました。客車として構造、設備が発達してきたのは、歴史上で鉄道黎明期から蒸気機関車牽引列車が主役となる時代が続き、郵便車を連結する旅客列車も客車列車という時代が長く続いたからです。牽引機関車がその後電気、ディーゼル機関車に置き換えられても、全国の幹線で郵便輸送する列車、特に長距離の急行、普通列車は客車列車が主流で、一部幹線で始まった郵便荷物専用列車も客車によるものが大半だったため、客車としての郵便車は鉄道郵便輸送廃止の直前まで製造され続けました。しかし、各地の電化により電車列車に置き換えが進んだり、非電化線区でも蒸気機関車から気動車(ディーゼル)列車への置き換えが行われ、それまで客車による郵便車で行われてきた郵便輸送に支障をきたすことになりました。そこで、電車、気動車にも新造や客室、荷物室からの改造で郵便車、合造車が多数登場し、幹線の一部列車やローカル線で活躍しました。

   
                          オユ10形客車                                            
クモユ141形電車                                                           キユ25形気動車

(2)占有面積別

郵便室が車両1両のうちどの程度を占めるかで全室、半室、1/4室(車種によっては1/3室)に分類されます。半室など他の用途の車室と郵便室が一体となった車両を「合造車」と呼びます。

ア、全室車 ~オユ10形客車、クモユ141形電車、キユ25形気動車など

文字通り車両全部が郵便室である車両のことです。逓信省所有によるテユ形式郵便車が明治40年に走り始め、それ以来多彩な形式が登場しました。原則として、全室車は郵政省所有車であり、メーカーによる製造費、国鉄に委託したメンテナンス費を郵政省が負担するものです。全室であると面積が多いぶん、郵袋室を広く取れるので多く積むことができ(例~非冷房オユ10形式で600個)、区分棚も用途別に多数設置できたり、立ったままの姿勢で郵便物納入できる郵袋掛けなど各設備が整い作業性が高く、列車ごとの輸送量や線区にもよりますが、5~10名の乗務員で郵便物種別に応じた多彩な車内作業ができるのが特徴です。輸送量が多い幹線に運用され、列車によっては2~3両を連結しました。また、冷房付き車両の新製、改造による冷房設置は郵政省所有車である全室郵便車だけでした。なお、車体全てが郵便室ではなく、客車であれば車掌室があり、ここには国鉄車掌が乗務することができました。(実際には郵便車を避け編成内の他車両車掌室を使用) さらに電車、気動車には運転室があり(片側又は両端)、ここを郵便室として借用することはできませんでした。

   全室車オユ10形作業室内の設備 

イ、半室車 ~スユニ61形客車、クモユニ74形電車、キユニ26形気動車など

車両の半分が郵便室の車両のことです。あと半分が荷物室のものが大半でした。キハユ15形気動車など客室と半分ずつのものもありましたが珍車の部類です。駅設備の関係から全室の郵便車、荷物車が隣どうし連結されていることが多く、合造車も郵便室、荷物室の合体が業務上で都合が良く、郵便荷物輸送をしない列車では連結しないことが効率的となるからです。半室車はほとんどの車両が側扉1ヶ所ながら郵袋積載部分を一定面積取ることができるほか、区分棚も多く設置することができますが、郵袋掛けや小包区分棚までは設置できず、床に郵袋を並べて中腰、座り込みの姿勢で納入するなど、全室車に比較すると作業面で不自由がありました。それでも収容力があり、線区ごとの輸送量に応じてひととおりの作業が可能であることから長距離夜行客車急行に全国で連結されるなど幹線、ローカル線を問わず使用されました。乗務員は輸送量や作業の業務量により2~5名くらいで乗務しました。国鉄所有車であったため、冷房を搭載することはできず、側窓が少ない車種が多いため夏場の車内温度が高く、作業には苦労を伴ったものです。中でも気動車は床下にエンジンがあり、特に暑かったと語り継がれています。国鉄に支払う運行費は同一距離で比較して全室車の半分となり、経済性も考慮して使用線区、列車が選定されていました。

   半室車として最後に活躍したスユニ50形客車(2両目)

ウ、1/4室車 ~オハユニ61形客車、クハユニ56形電車、キハユニ25形気動車など

車両の半分が客室で残り半分を郵便室と荷物室で分け合った車両のことで、郵便室は1/4ほどですが、車種によっては1/3を占めるものもありました。1ヶ所の側扉で締切郵袋置き場と少数の区分設備をコンパクトに配置した設計で収容力に乏しく、2~4名くらいが乗務して輸送量が比較的少ないローカル線に使用されました。国鉄所有車で冷房は搭載していません。短距離運用と思われがちですが、豊橋辰野線(飯田線)、花巻盛岡線(釜石線、山田線)など長距離ローカル路線にも使われ、ミニサイズながら、全国の隅々まで郵便を送り届けることに貢献したグループです。国鉄支払いの運行費は全室車の1/4となります。

   北海道ローカル線で活躍したキハユニ25形気動車

(3)構造別

ア、扱い車

「扱い便」とは、郵便物を車内で区分しながら輸送する鉄道便です。一般に郵便車と言えば、構造的に区分設備を有する「扱い車」を指します。局間を輸送される郵袋には宛先が示されており、鉄道便では、乗務員宛の郵袋は車内で郵便物を取り出して区分作業してから取り下ろすことが必要です。また、郵便車内で中身の郵便物を取り出しての区分作業を必要としない「締切郵袋」も数多く積まれ、こちらは車内に積載、看守して駅で取り降ろします。この両方を行うのが扱い便で、最低でも区分棚は必要で、車内面積に応じて各種区分設備が設置されました。昭和59年2月の「59.2改正」による合理化で扱い便が廃止された際に、ローカル線は自動車便に転換され、半室車、1/4室車の多くが廃車され、全室車の一部だけが数少ない護送便、締切便にも使用されましたが、区分設備などは撤去されず、設備を持て余したまま昭和61年10月の鉄道便全面廃止で使われなくなりました。

イ、護送便専用車

「護送便」とは、「締切郵袋」のみ積載して輸送する鉄道便です。車中継走区分制度が始まる以前は、郵便吏員が車内で郵袋を看取して駅で受渡していたので、護送便の方が扱い便よりも元祖と言えます。扱い便の一部区間を護送とする取り決めで車内区分作業を行わない場合や、全区間で扱い車を使用する護送便も運行されていましたが、東京門司線、東京青森線など、郵便物の数量と鉄道便の本数が多い線区では、護送便に適した構造、つまり区分設備を持たず収容力のある車体が求められました。そこで、国鉄荷物車を参考に、休憩室と車掌室以外はすべて締切郵袋室、つまり何もない空間を広く取った構造の車両が登場しました。すべて客車で、当初は扱い車の改造により制作しましたが、主な形式はスユ43、オユ12、スユ13、スユ15と進化してゆき、鉄道郵便輸送廃止の日に終便式を行ったのはスユ15の護送便でした。2~4名の少ない乗務員で900個ほどの郵袋を積載して輸送力を発揮しました。また、当初は単独での運用は少なく、ほとんどが扱い車と連結した重連(後述)でした。特に小包郵袋や、通常郵袋のうち速達小包、大型(定形外)郵袋といった大きめの郵袋を護送便に積載することで、扱い便の締切郵袋積載を緩和する役割もありました。59.2改正で扱い便が廃止されると、61.10廃止のときまで主要幹線で護送便が最後の活躍をしましたが、スユ15は新製されて4年で廃車解体されたものもありました。

   
                                                     オユ12形                                                                                           
スユ15形への積み込み作業

ウ、パレット締切便専用車 スユ44形客車

「締切便」とは、締切郵袋を車内に積載したあと、乗務員を乗せずに施錠して運行する鉄道便です。扱い便、護送便の一部区間が締切便となる便が大半で、受渡指定駅での駐在員による積み降ろしには手間と時間がかかりました。それは国鉄荷物車でも同様で、荷物の迅速な積み降ろしを模索した結果、昭和43年にスニ40形パレット荷物車グループが開発されます。それまで開発されていた貨車には、側面をすべてスライド扉として、どの位置でも側面からフォークリフト荷役ができるワム80000形式貨車とボギー台車で大型化したワキ10000形貨車があり、これを参考に同様の形態で荷物客車を製造し、荷物はパレットと呼ばれる車輪付き台車に収納して、パレットごと車両に積み降ろしするという画期的なものでした。この系列で郵便車として昭和46年から製造されたのがスユ44形です。ぱっと見たところでは銀色の貨車そのものですが、れっきとした客車です。東京門司線のみ使用されたようで、扱い車、護送車と連結した重連、三重連で運用され、ほとんどは受渡郵袋数が多く、鉄道郵便局、分局があり駐在員がいる駅を受渡指定駅としており(大阪、岡山、広島という具合)、それ以外では扱い便、護送便のみ受渡する形態でした。パレットには駐在員が郵袋を詰め込み、ホームに搬送して、扉の開放、渡り板(電車で車いす乗降に使うスロープに類似)の設置、規定された位置のパレット取り降ろしと積み込み、扉の封印、施錠をしますので、停車時間に余裕があることも受渡駅指定の要件でした。乗務員が必要なく、郵袋ばら積みに比べると積み降ろしは迅速というメリットがあった反面、車内容積いっぱいに積載できず、国鉄に支払う運行費と積載数量を比較すれば護送便よりも割高なデメリットもあり、全国の幹線には普及せず、12両の製造にとどまっています。荷物車としては東北本線、北陸本線などにも普及したのですが、郵便車としては陰が薄い存在となりました。それでも59.2改正、合理化を生き延び、護送車と共に東門線で活躍後、鉄道郵便輸送廃止と共に保存されることなく全車解体されました。

(4)私鉄

これまで、国鉄車両、郵政省所有車両に絞って記述しましたので、私鉄郵便車にも簡単に触れます。今では通勤など地域輸送を担っている大手私鉄を含め、かつては全国の私鉄で郵便車が運用されていました。特に郵便荷物合造車が多く、大半の私鉄は輸送を廃止しましたが、59.2改正まで生き残ったのは、米原貴生川線(近江鉄道)、諫早加津佐線(島原鉄道)の2社で、共に扱い便を運行していました。私鉄には少数派で古いながらも味わいがある車両があり、近江鉄道のモユニ10号、11号は米原駅に顔を出しては東門線、阪青線とも結束して滋賀県南部地区の郵便輸送に貢献しました。

3 運用

(1)長距離かつ複数の郵便線路に直通

  

これは、大阪は宮原客車区所属のオユ10運用の一例です。大阪旭川間を往復するのですが、大阪青森間は急行「きたぐに」、青森函館間は青函連絡船航送、函館旭川間は普通列車に連結され、大阪に戻るまで5日かかります。鉄道郵便線路としては、阪青、青函、函旭の各線を直通しますが、国鉄路線としては7路線1航路でした。組数5というのは、1両が大阪を出てから帰着し、6日後でないと同じ仕業に入れないので、この運用だけで5両が必要となることを示していると思われます。運用番号「大航22」というのは、大阪管轄で航送を伴う番号として付与されたもので、客車の側面には「急行」「指定席」などの表示板(サイドボード、略してサボ)が取付けられましたが、郵便車、荷物車には運用番号のサボが付けられ、この運用車両には「大航22」と書かれたサボが掲げられました。

(2)重連

鉄道車両ファンがこの言葉で連想するのは機関車が2両以上連結して列車を牽引する姿です。鉄道郵便にもこの言葉があり、同一列車に郵便車を2両連結することを重連と呼びました。(3両連結は三重連) 諸外国では郵便車を何両も連結した専用列車がありましたが、国内では両国千葉間で郵便電車が一時期に四重連で運行したのが最大両数ではないかと思われます。
さて、
1両でもよさそうな郵便車を2両以上連結する理由はさまざまですが主なケースは次のとおり。

ア、用途や構造が異なる車両を連結して輸送力増加と車種ごとに搭載郵袋を区別する
  東門線
荷物列車で扱い車、護送車、パレット締切車を相互に連結

イ、所定は1両の鉄道便において、年末繁忙期など積載数量が増える鉄道便に臨時便を増結して救済する
  前記
「大航22」運用に阪青線区間のみ、阪青下(上)臨時護送便(オユ10)を連結

ウ、途中駅で編成を分割して行き先が分かれる列車に複数の郵便車を連結しておき、当該駅で方向別に運行する
   東門線
東門下五護送(門司行)と東岡下護送(高松行)を東京岡山間で同一列車に連結(郵便車どうしは離れていた)

エ、運行時刻が接近している複数の郵便車を一部区間で同一列車に連結する
   阪青線
区間便「阪潟上」「米直上」を富山米原間で、「阪富上護送」「阪金上」を敦賀米原間で同一列車に連結

エの場合は、連結した二便を同一区間で扱い便にせず、一部区間で護送、締切にすることにより、輸送力や乗務員が過剰とならないよう措置されていました。また、郵便車どうしを連結していても、それぞれ単独の鉄道便であり、便長以下乗務員は独立して勤務しており、貫通扉を開けて隣の車両に乗り移ったり、郵便物を相互に直接手渡しはしませんでした。相互に受渡する郵便物と駅は通達で決められ、必ず駅ホームで受渡員を介して受渡をしていたことを付け加えます。

    
                            EF58牽引の東門線荷物列車                                                            59.2改正で扱い便廃止後の同列車
                            4両目
からスユ44+オユ12+オユ10の三重連                                5 両目からオユ12+スユ44の重連 牽引機はEF62に置き換え

(3)臨時列車

年末繁忙期など郵便物が増加する時期の輸送を完遂するため、鉄道郵便局は各種手配に奔走しましたが、増結しての重連という方法以外に、臨時荷物列車へ郵便車連結がありました。昭和50年代の毎年12月に設定されたのが東京門司間下(上)臨時護送便+東京門司間下(上)臨時締切便の重連運行です。荷9041レ~に荷9042レ(大阪以東荷9044レ)で、護送便には当時オユ10など扱い便の予備車として残存していたスユ42形が、締切便にはオユ12形が使われていました。荷物も激増していた時期で多くの荷物車と郵便車2両を加えた10両ほどをEF58が牽引しました。臨時旅客列車への郵便車連結は確認していませんが、金輪線(七尾線)ではふだん郵便車を連結しない定期列車にキハユニ車を連結した臨時護送便を仕立て、能登米で作ったお餅の小包増加に対応した事例がありました。このケースでは、国鉄にとっては定期列車への増結手配ですが、郵政にとっては臨時便設定となります。

4 輸送と車両需給に応じた車両使用

(1)拡張契約

前述のとおり郵便車の車室面積は輸送量により線区と列車ごとに決められ、輸送量が時間帯や時期ごとに変化したからと言って、車種を簡単に変えられるものではありません。車種の変更は他の車両区等からの貸借、転属などを意味するので、国鉄とも折衝を要する大変なものでした。そこで、カメレオンよろしく、簡単な手続きで車室面積が変化(増加)するのが面積の拡張契約です。これは、ユニ車(半室)やハユニ車(1/4室)車両の隣にある荷物室を国鉄から貸してもらう契約をし、その分の運行費を支払うことで郵袋を積載させてもらうものです。あらかじめ列車と区間を決めて行うケースや、年末繁忙期などの輸送増加で臨時に期間限定で行うケースがありました。これを行う要領としては、合造車の荷物室との扉を開放して乗務員は両室を行き来し、どちらの扉からも受渡をしますが、荷物室にはもっぱら締切郵袋を積み込みます。乗務員開披郵袋は区分設備がある郵便室に積むのは当然です。駐在員や沿線受渡員には2ヶ所ある扉の受渡方を間違わないように通達されます。これをユニ車で行うと、車室0.5が1.0になり、全室車とほぼ同じ輸送力が確保できます。通年で行っていた事例を紹介します。

    

これは、阪鶴線(福知山線、山陰線綾部福知山間、舞鶴線を直通する郵便線路)の上下便時刻です。阪鶴下(上)便、阪福下(上)一号、二号便で往復しているのは、スユニ車ですが、下一号便のみ車室が1.0となっています。別にこの便だけオユ10など全室車を使用しているわけではなく、ここではスユニ車の荷物室も郵袋積載に使用します。この便は早朝の大阪発で、沿線各局でその日に配達する郵便物が前夜から大阪に集まってきたのを積載するため郵袋数が多いからで、通年で荷物室使用が行われました。他の半室車使用便は郵袋積載最大数が310~320個でしたが、阪福下一号便は550個でした。なお、この列車は荷物も相当多かったのか、機関車の次には荷物車が1~2両連結されていたので、スユニ車の荷物室を郵便に使わせても荷物輸送には支障なかったようです。興味深いのは、この車両は福知山で京下線(山陰線)に直通し、米子まで福米下護送と便名を変えて引き続き運行するのですが、積載郵袋数が減るためなのか、福知山駅で荷物室は国鉄に「返却」します。つまり、福知山から米子方向(和田山以西)は郵便室だけの積載となるので、福知山駅では荷物室の郵袋をすべて取り下ろして明け渡さなければなりません。従って、大阪福知山間で和田山以西宛の締切郵袋は郵便室に積載していたものと推定されます。借りもすれば返しもするので、積載方の指定は慎重に行われたわけです。

(2)目的外使用

鉄道便の種別に応じた車内構造を説明しました。扱い便には区分設備がある扱い車、護送便には護送車が適しているわけですが、護送車の運用線区は東京門司線など輸送量が多い線区に限定されていました。さて、車内の郵袋はその日によって宛先ごとの数にいくらかの増減はありますが、だいたいは一定しており、また駐在員や受渡員もそうなるように積み込み段階で仕立てています。ですから、乗務員は締切郵袋と車内作成郵袋は車内のどこにどこ宛てを積むかが規定されているのでそれに従って積載します。乗務員が下車すると同時に全ての郵袋が取り下ろされるのであれば裁量で適当に積んでおけますが、長距離線区で乗務員交替がある便、つまり車内を他の鉄道郵便局乗務員に引継ぐ場合は、双方の鉄道郵便局で置き場所の取り決めを行います。その時の大郵袋、あるいは郵袋に納入しない郵便物、関係書類の引継ぎに関する取り決めを「引継協定」と称していました。その協定による東門線の車内大郵袋引継方を示します。

これは、大阪駅で乗務員交代時の阪糸乗務員から浜阪乗務員への大郵袋引継要領で、図に示すように積んで交替することが定められました。ここでは東門上二号便では区分棚を明記して郵袋位置がわかるように明記され、東門上四護送便は護送車なので区分棚がありません。これで当たり前なのですが、別の事例です。

こちらは阪青下護送便が敦賀駅で阪敦乗務員から敦直乗務員に引継ぐ要領です。護送便ながら区分棚が図示されており、扱い車を使用した護送便であることがわかります。護送車の説明で触れたとおり、扱い便の一部区間を護送としたり、このように全区間扱い車を使用した便もありました。東門線で護送車に乗務すると使い勝手が良く、2ヶ所の大きな両開き扉など郵袋搭載、積み降ろしがしやすい利点がわかりますが、扱い車使用の護送便は、言わば目的外使用であり、狭いほうの郵袋室(小部屋)の側扉が片開きで狭く、区分室へも郵袋積載が指定されているので、仕切り壁をかわしての郵袋送り込みがひと手間でした。郵袋掛けや小包区分棚を組み立てないのでそこに置きますが、年末や夏期繁忙期に数量が増えてくると区分棚を塞いで山積みを余儀なくされ、これがまた列車の左右の揺れで不気味にゆらゆら動くので、崩れないか心配でした。しかし扱い車にも利点があり、この車両は長らく阪青上一号便で大阪に戻る青森回転の運用だったので、ほとんどオユ10冷房車か、のちのちはスユ16(空気バネ台車!)が使われており、夏場に限っては冷房がない護送車よりはいいもんだ、などと勝手なことを言っていました。

(3)代用車

これは、郵便車を使用できない、あるいは特定の路線のために製造、改造、所有管理できない事情が生じた場合に、郵便車ではない車両を郵便車の代用として使用するケースです。使用するのは、ほとんどが普通座席車か荷物車でした。どちらかと言うと座席車の方が多く、ローカル線でユニ車の代わりに座席車を使う事例が多かったです。車両記号から座席車使用を「ハ代用」、荷物車使用を「ニ代用」と呼んでいました。決して、グリーン車や寝台車、食堂車などを代用することはなかったです。(使えばどんな作業になるか…) はたまた、阪青線を決して走らないオユ12護送車が阪金上便でオユ10代車に使われるという珍事も発生しています。趣味的には見たり撮影すると珍しくて興味が高まるものですが、仕立てる側、乗務する側には苦労がつきまとうもので、有り難くない存在でした。車種は客車、電車、気動車を問わず日常的に散見されました。鉄道利用者、沿線の撮り鉄には気づかれないまま通り過ぎたかもしれません。外観で一見しただけでは気づきにくいものだったからです。また、広義には、平素は運用しない旧式、非冷房の予備郵便車を新式の車両に代えて使用するのも代用車のカテゴリであったようで、夏場の乗務前点呼で非冷房の代走に当たると聞かされると乗る前からぐったりしたものです。(こういうときに使うために予備車がある)
代用車を
使う理由を列挙すると次のとおりです。

ア、郵便車(合造車を含む)が、定期的に車両工場に入場して長期間の全般検査を受けるなどの理由で使用できない場合に予備車、代用車を使用する ⇒ 最も多かったケース

イ、郵便車が、戦災、自然災害等で破壊され代替車両製造、改造まで使用できない場合 ⇒ 戦後は全国で発生

ウ、踏切事故、降雨災害など突発的な理由で郵便車が途中で足止めされ、折返し、直通使用すべき鉄道便が運行できない場合

エ、輸送量の少ない線区、特定の鉄道便に対して郵便車を製造、改造して運用することが費用対効果で不利、不経済と判断される場合

(ア)宍道落合線(木次線)ではキハユニ車等を運用せず日常的にキハ車両の一部を仕切って使用

(イ)前記阪鶴線の区間便「福鶴下便」(251D)は折返しで急行列車となるためキハ58形の前から1/4を仕切って使用

(ウ)岡山米子線ではキユニ車を扱い便で使用していたが、電化により普通列車が電車化され、59.2改正後の護送便は115系電車の先頭車扉付近1/4を仕切って使用

仕立て方については、代用車が計画で決まると、鉄道郵便局で内勤職員、駐在管理職などが小道具を車に積み、車庫に駆けつけてコーディネートするというのが一般的です。小道具とは

・郵便車表示 ⇒ 布製であつらえた高額なものから、画用紙に赤マジックで〒マークを即興で描いたものまでさまざま

・車内仕切り ⇒ 「郵便室」「立入禁止」等と書かれ客室からすっぽり見えないように覆う大きなカーテンもあれば、ロープ一本の場合も。

・簡易区分棚 ⇒ ビニール製で折りたたみ可能。ひもを車内の網棚などにくくりつけて吊るもので、振動でよく揺れるから郵便物が落ちないか心配

・事務机と折りたたみいす ⇒ 荷物車代用の場合

がひととおりのアイテムです。また、キハ20形気動車などには郵便、荷物輸送に使う場合に客室とを簡単に仕切れるアコーデオンカーテンが設置され、郵便荷物代用ありきの設計がされていたものもありました。しかし計画的ならまだしも、突発的に代用車作りをするとなれば日常業務を工面しなければならず、その設営と解除撤収は大変な手間で、代車を手配した国鉄さんともども苦労されたと思われます。一方、乗務する立場で伴う苦労としては

・夏場に冷房車使用便の代用で非冷房車が来ると車内作業が暑くて過酷

 ⇒ 元々が非冷房車の乗務だと心構えができているが、冷房車の乗務にいきなり非冷房代走だと…(鬱)

・区分設備が少なくなるので、扱い量が多かったり作業種別が多く複雑な便では苦労する

・クロスシート(ボックス席)の車両は車内の郵袋移動と保管がやりにくい (たいてい窓を開けて積み降ろし)

・側扉が自動ドアの車両だと、受渡駅ではない駅でも車掌がドアを開閉する

 ⇒ 郵袋をホームに落下させないよう注意が必要、また乗客が間違って乗ってくることもある

・客室との仕切りがロープである場合

 ⇒ 郵袋の紛失、盗難防止に気を使う 乗客のみなさんを警戒するわけではないが心構えとして…

 ⇒ 幼児がくぐって遊びに来る… 親がちゃんと見ていてほしい

 ⇒ 何よりも作業の様子が丸見え… 最初のあいさつと着替えから大声の締切郵袋読み上げ、各種区分作業をみんな見ている
    いまどきこれをすると
撮影されて動画サイトにアップされるでしょう

・仕切りがカーテンであっても

 ⇒ 向こうの学生がめくってのぞきこむ カーテンごしに郵袋をキックする者もいる

・積み込む際に構造的理由から正規の郵便車と同数の郵袋が積めないことがわかる

 ⇒ 駐在側で一部郵袋を積み残しとして引き戻し、後続列車への積み込みなど差立変更をする措置が特例で行われる

などなど。しかし、乗務員も年季が入ると突然の代車も想定内と思えるようになり、アクシデントのひとつとして割り切って乗務しました。困難な環境でもチームワークで乗り切るのが仕事の基本精神でありまして、知る限りは不満言いながら仕事した人はおらず、淡々と粛々と作業をこなしたものです。やはりプロ意識がもたらしたものではないかと思われます。

代車の乗務(阪青線)、目撃(京王線)のエピソードはこちら

   
                       ボックスクロスシート
座席車の代用例 カーテンで仕切られた客室側から                     ボックス席を使った簡易区分棚の使用状況

5 鉄道郵便車研究のおすすめ書籍

j train Vol.61 2016年2月発売                 鉄道ピクトリアルNo.931 2017年5月号
特集記事「鉄道郵便輸送廃止30年」          
特集記事「郵便・荷物電車」

            

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