鉄道便について

1 鉄道便とは

ここで述べる「鉄道便」とは、端的に申せば「鉄道郵便線路で鉄道車両により郵便物を輸送する運送便」です。
まずは「郵便線路」について説明します。郵便物の輸送と聞くとポストに投函、郵便局窓口で引受けされてから、受取人に配達されるまでを示すと考えられがちですが、一般的には集配郵便局(以下文中では郵便局)、つまり、郵便物を収集、配達する郵便局相互間の輸送を示します。収集、配達は集配郵便局の業務で、郵便輸送とは集配局相互間で行うものです。そして、鉄道郵便線路とは鉄道の設備を示す線路という意味ではなく、様々な搬送手段がある郵便線路のうち、鉄道により輸送する郵便局相互間の経路という意味です。では、鉄道以外にどんな郵便線路があるかと申しますと、航空郵便線路、自動車郵便線路、水路郵便線路(船舶)…その他に二輪車、自転車、徒歩まで規定されていましたし、山岳地帯では色々な乗り物が利用されています。郵便局では、他の郵便局に送付する郵便物は原則として郵袋(ゆうたい)という頑丈な布製の袋に納入して、送付先郵便局名を標記した郵袋標札を取り付けて運びました。鉄道郵便線路は、あらかじめ起点郵便局、終点郵便局を定め、その途中に受渡(積み降ろし)をする郵便局をも定めた上で構成され、だいたいは国鉄の路線の起点終点に準じて定めましたが、列車の運転系統が複数の国鉄路線にまたがったり、特定の路線の途中駅で列車の運転系統が異なる場合など、郵便物の輸送事情とは一致しなかったり、駅名と受渡局名が異なったりしたので、国鉄路線名と郵便線路名が異なる場合が大半でした。そういうことから、鉄道郵便線路名は「東京門司線」「大阪青森線」といった名称が付けられ、国鉄路線名とは違っても、どこからどこまで郵便物を運ぶ路線なのか、またその社会的使命までもが何となくわかります。
次に「鉄道車両により輸送」ですが、鉄道車両とは一般に郵便車を指すものです。(鉄道郵便車の項目を参照) 後述するように貨物列車も郵便車による輸送を補完するため使用しましたが、資料館にあります鉄道郵便線路図に基づく輸送は郵便車により鉄道郵便局により行われたものを示し、貨物列車利用は国鉄に委託した意味合いが強く、鉄道郵便線路とは区別されていますが、手配、受渡は鉄道郵便局が主体で行った意味からは鉄道便の一種と言えなくもありません。また、組織、線路図にある青森函館線、玉野(宇野港)高松線は、水路便(国鉄連絡船)と区別されながらも、連絡船内の車両甲板に郵便車を積載し、特に青函間では航行中も車内で乗務員が作業していたことから、実質的には鉄道郵便局が管轄していたため、鉄道郵便線路と見なされていました。

2 鉄道便の種別

(1)扱い便
正式には「取扱便」ですが、通称でこう呼ばれました。(現場では「あつかい」と呼称) 鉄道郵便車内にある区分設備を使い、郵便物(郵袋)を輸送すると同時に、車内において乗務員が郵便物の区分作業を行う便。鉄道便は扱い便であることが原則と考えられて明治時代の創生期から「車中継送区分」が行なわれてきましたが、1984年に廃止されています。

    扱い便車内は「走る郵便局」

(2)護送便
乗務員が郵袋の輸送のみを行う便。区分設備がない護送便専用郵便車もあり輸送量が多い鉄道郵便線路で使用されました。少ない乗務員で輸送力が発揮できるのが特徴で、輸送上の都合で扱い便の一部区間を護送扱いする便も多くありました。

     護送専用郵便車スユ15形式の東門護送便

(3)締切便
車内に郵袋を積載して乗務員が乗らずに施錠して運送する便。積み降ろしをする駅と車内の積載場所があらかじめ取り決められていました。護送便のように乗務員が置き場所を臨機応変に変えることができないので車室面積の割りに積載量が限られること、停車時間が短時間の駅では積み降ろしが困難で、主要駅のみ、しかも鉄道郵便局、分局駐在員がいる駅での受渡が大半で、全区間締切便は年末など輸送繁忙期の増結便に多く見られました。また、輸送上の都合や乗務員のやり繰りから、扱い便、護送便の一部区間が締切となる便も多くありました。

        郵便車側扉を施錠する締切錠

(4)パレット締切便
東京門司
線で、スユ44形式という、一見して貨車のようなパレット締切便専用車により行われた締切便。郵袋を納めたパレットという台車ごと出し入れする構造でしたが、単独で連結されることはなく、扱い便、護送便とペアで連結され、受渡駅は主に鉄道郵便局がある駅、郵袋数が多く、荷物列車の停車時間が長く設定されている駅に限定し、郵袋の種別や送付先により郵便車内のどこの区画に積むのか取り決められていました。
パレット
締切便 積載方(パレット系統表)  東門下一パレット締切便  東門上一パレット締切便  1983年3月
まず、連結両数
は各列車1両で、側扉は4枚あり、各扉ごとの区画をア、イ、ウ、エの4つに分け、各区画の海側をA、山側をB(門司、東小倉は逆)としています。まるで、列車の指定席に似ていますが、各鉄道郵便局で協議して、なるべく室内がパレットで埋まるように積み込みと取り降ろしの台数が計画され、積載方を改正しない限りは毎日指定された通りの区画でパレットを積み降ろししました。対象郵袋は主に速達小包、大型通常が主体で、普通小包や他の郵袋を含めた混載も可能としていました。また、指定席では乗客が下車した駅で別の乗客が着席する売り方があるのと同じく、パレットを取り降ろした区画に別のパレットを積むことで無駄のない運用が組まれたことがわかります。また、各区画ともA、B位置のパレットは同時に積み降ろしすることで、急な着発線変更で開く扉の位置が左右どちらに変わっても、2台連続で積み降ろしできるように考慮されたほか、有証郵袋は各パレットの最下部に積載することで、書留郵便物の安全を図っていました。

    パレット締切便専用郵便車スユ44形式へのパレット積み降ろし作業

(5)貨車締切便
郵便車の輸送量は特に便数が多い幹線ほど輸送需要も多く、特に小包郵袋は普通郵便物に比べて車内容積を多く占めていました。そこで、国鉄の貨物列車に連結する有蓋貨車(ワムという記号の屋根がある箱形のもの)を契約し、主要都市の貨物駅相互間で小包郵袋を国鉄に託す形で輸送しました。そして、色々な形式の貨車と共に組成され、大都市近郊の貨物駅ではヤードと呼ばれる仕訳線で解放、連結されたり、運転時刻調整で一晩留め置かれたりしながら目的駅まで輸送されました。鉄道郵便局が受渡業務をするケースが大半で、手配などの事務も行いました。輸送量が多い区間の小包の輸送にはコストが比較的安価でしたが、ヤード輸送方式の貨車は現在地がどこなのか、いつ到着かが目安でしか把握しにくかったことが難点で、普通小包に限ったこととは言え、「東京大阪1週間」という俗語もありました。また、積み込み、取り降ろしに手間がかかり、下関駅のように貨物ホームが旅客駅隣接の分局と近く、エレベーターで連絡するケースもありましたが、多くの局は、最寄り貨物駅に出向いて、トラックの輸送と貨物駅で作業する局員の派遣が必要でした。特筆されるのは、国鉄大阪駅の南北に梅田貨物駅があり、南ヤードと大阪中央局が隣接していたことから、当初は中央局1階発着口への引き込み線が設置され、中央局と鉄道郵便局南門の両方から貨車に積み降ろしができる構造でした。中央局が小包扱いを集中局に移管したのちも鉄道郵便局側の積み降ろしが可能でしたが、引き込み線を廃止後は梅田貨物駅までトラック連絡する方法に変わりました。(鉄道郵便局跡地ハイキング大阪駅郵便室乗務課跡を参照。廃止後の様子、南門通路跡写真左の高架下が中央局引き込み線跡で梅田貨物駅配線図も掲載しています。)
普通小包の
輸送優先度が最下位であった時代のため、こういう輸送方法も活用していたわけですが、次第にコンテナ締切便に切り替えが進み、。1984年の59・2改正でヤード輸送廃止と共に貨車締切便も廃止されました。

        下関駅貨物ホームの取り降ろし作業 エレベーターで下関分局へ直結していたが大半の局はトラック中継が必要

(6)コンテナ締切便
貨車締切便と同様に国鉄コンテナを契約して輸送する便で、鉄道郵便局が手配、受渡を行いましたが、貨車に比べて次の利点がありました。
ア、到着が早くて明確
ヤードを経由しないでコンテナ専用列車で輸送されるので、行き先の貨物駅に早く到着し、到着日時場所がダイヤで明確にわかる。貨車締切便より速かったこともあって、小包よりも優先度が高い速達小包、普通定形外(大型)の輸送にも活用。
イ、貨車よりも少なめの輸送量に対応できる
容積が貨車よりも小さいので、少なめの郵便物、区間でも経済的に契約可能。
ウ、小回りと機動性が優れる
当時のコンテナに書かれていた「戸口から戸口へ」の文字通り、トラックに積まれたコンテナが鉄道郵便局や地域区分局に発着して貨物駅に搬送していたので受渡の両方を鉄道郵便局が担当しなくてもよく、さらには、貨車への積み降ろしのため貨物駅までトラックで郵袋を搬送したり、旅客駅の荷物ホームに貨車を引き入れてもらう必要がなく、機動性に優れていた。
以上のメリットから、貨車締切便が廃止される以前から、コンテナへの置き換えが行われ、郵便車の輸送を大きく救済しました。1986年の鉄道郵便輸送廃止後も国鉄~JR貨物コンテナ列車への郵便物積載は続けられました。

(7)託送便
国鉄、私鉄などに郵袋を小荷物として預け、荷物車の輸送を委託する便。便名に「通常託送」と付記する便が多く、通常郵便物のうち、特に送達優先順位が高い、書留通常、速達通常、普通通常(定形)郵便物をひとくくりに「高等信」と規定し、託送便で輸送しました。郵便車契約に比べると郵袋1個につき荷物運賃を必要とすることからコストが高いので、特に早く送達したい郵便物に限定して輸送するケースが多かったところです。鉄道郵便局が計画策定したり鉄道郵便線路時刻表にも掲載されていましたが、契約は郵政省部局が行い、受渡は鉄道郵便局が全く関与しなかった便も多くありました。郵袋には標札のほか、荷物札が添付され、他の小荷物と分けて積載されていたようです。受託する鉄道会社なども郵便物による収入は決して小さくなく、国鉄では駅と乗務員が授受を行う書類に、郵便物は新聞などと共に一般小荷物とは分けて記載されていました。日本国有鉄道一般荷物用授受証(託送郵袋用)
託送便を必要としたケースが興味深いので、郵便車とは無関係ながら列挙してみます。

ア、鉄道郵便車を運行していない鉄道線
郵便車を運行していた郵便線路はすべての国鉄線ではなく、昭和40年代前半までに多くのローカル線、私鉄線で郵便輸送を廃止した路線があったり、当初から郵便線路にならなかった線区があり、それら線区が小荷物輸送を続けている場合は送達を急ぐ少量の通常郵便物は託送した方が、鉄道郵便車を走らせたり、自動車便を契約するより速くて経済的と判断されるケースで託送便を設定しました。
 例 ⇒ 金沢珠洲間下り託送~国鉄能登線荷物車
イ、鉄道郵便線路よりも速く荷物輸送する鉄道を利用
大阪から奈良県、三重県へは亀山大阪線(関西本線)があり荷物列車に郵便車を連結していたが所要時間がかかるため、近鉄線荷物電車による大阪伊勢間、名古屋伊勢間託送便を設定し、通常郵便物を大量、迅速に輸送しました。(大阪中央局が上本町駅で受渡するなど鉄道郵便局は介在せず)

     大阪伊勢託送便を思い出させる近鉄鮮魚列車
ウ、郵便車の運行本数が少ない鉄道郵便線路で他の荷物車連結列車も利用して輸送を補完
  例 ⇒ 大阪三田間上り通常託送便で三田局窓口時間終了後の通常郵便物を大阪中央局に送達
       大阪東舞鶴線(上り)時刻表
エ、郵便車を連結しない夜行列車の荷物車で託送
  例 ⇒ 門司鹿児島間上り通常託送~寝台特急「はやぶさ」の荷物電源車(ブルートレイン便割増)
        東京金沢間通常託送~急行「能登」、東京福井間通常託送~急行「越前」
        大阪新宮間通常託送~寝台付き普通列車「はやたま」
        東京秋田間通常託送~急行「津軽」では秋田大阪間航空郵袋も託送し、東京大阪航空便で大阪へ送達
オ、問答無用!国鉄最速の鉄道郵便!人呼んで「携行郵便線路」
東海道新幹線ひかり号を利用した託送便で東京大阪間に1往復がありました。もともと新幹線開通後、当初の0系電車をベースにパレット郵便車編成が計画されましたが諸般の理由で実現しませんでした。そこで、新幹線の車掌室でカバンを預かる荷物輸送「新幹線レールゴーサービス」が開始されたのを機に、東京、名古屋、大阪中央郵便局相互間で託送を行いましたが運賃が高価なためビジネス速達郵便物に限定しました。(時刻はこちら)

3 鉄道便の便名

郵便線路で輸送される便は、輸送手段が何であっても便名が付きます。新幹線に「のぞみ×号」があり、航空機に「(航空会社略称)××便」とあるのと同じです。鉄道便では、運行する鉄道郵便線路(以下線路)と始発終着が一致する便は線路名と運行する方向、つまり下りか、上りか、さらに同一区間に二便以上ある便は号数を付与しました。具体的な便名の付け方は

  始発局名 + 終着局名 + 上り又は下り + 号数 + 護送便又は締切便は付記(扱い便は不要)

となり、一例として東京門司線の下り扱い便で、始発駅発時刻が午前0時から数えて一便めの鉄道便は「東京門司間下り一号便」となります。同便と連結されていた護送便は「東京門司間下り一号護送便」となり、線路内の一部区間を運行する便(区間便)で、沼津始発で東京終点となる上りの扱い便であれば「東京沼津間上り便」となり、運行区間に一往復しかない便は「×号」は付きません。もっともこの呼称は正式名称で、現場では読み書きともに縮めており、前述の例ですと「東門下一」「東門下一護送」「東沼上」となり、発着時刻表から関係書類、資料に至るまでこの書き方で通用しました。さらには「護送」は「護」なり「ゴ」と表示したり、「パレット締切」は「P締」と略されたりしました。なお、「上り」「下り」は現場標記では送りがなの「り」が略されて「上」「下」と書いても読み方は「のぼり」「くだり」です。
さて、便名にまつわる話で特記しておきたいことがあります。

(1)運行日と日付印
各便の乗務員は郵便局で使用する消印と同じサイズの「通信日付印」を携行します。これの説明は別項目でしますが、日付印には便名と日付(活字交換式)が標記され、乗務員が途中交代する便は乗務区間も付記されます。×月×日の何便かがわかるものとなっており、これを車内作成書類や未消印郵便物の消印に使います。このとき、夜行列車で午前0時をまたいで運行される便については、翌日も終着までは始発駅基準の日付となり、例えば大阪駅を8月1日に発車した阪青下便は、翌日になっても終着の青森駅に着くまでは「8月1日の阪青下便」であり、途中交代乗務員が使用する日付印はすべて8月1日でなければならないので、日付印を携行管理する乗務員は2日にまたがる便は注意が必要でした。

(2)乗務中に便名が変わる!?
線路名は、おおむね国鉄の線路名に合わせて命名していたものが多く、列車の運転経路によっては、複数の線路にまたがる場合もあり、便名の付け方を線路名に合わせると途中駅で便名が変わるケースもありました。いまJRの線区で最も距離が長いのは山陰本線(京都~幡生)ですが、これも「京都下関(けいしも)線」という長大な線路でした。実際全区間を走破する京下下(上)便は25時間以上かけて4つの列車に連結替えされながらの走破していましたが、福知山線と山陰本線を直通する下り急行「だいせん」に連結の郵便車は大阪福知山間が「阪福下二」、福知山下関間が「福下下(ふくしもくだり)」という便名で(だいせん連結は出雲市まで)、通過する線路に忠実に合わせていました。しかし大阪から鳥取まで乗務員は乗り通すので途中駅で便名が変わるケースでした。

(3)国鉄線区をいくつまたいでも便名が変わらない
門司長崎間の夜行普通列車「ながさき」号は寝台車があったことで有名でしたが、これに連結する郵便車は鹿児島本線(郵便線路名は門司鹿児島間西回り)、長崎本線、佐世保線、大村線、また長崎本線とまたいで運転するにもかかわらず、「門長下(上)」という便名でした。これのからくりは、線路名がズバリ「門司長崎(もんちょう)線」であったからで、門鹿西回りと門長の両線が門司鳥栖間の長きにわたり重複しているからです。前記「だいせん」の例にならえば鳥栖を境に線路名と便名が変わりそうなものですが、線路名がどういう経緯で命名されたかは解明しにくいところです。

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